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松竹社内報vol179転載(松竹グループ会社インタビューvol.2)

2016.06.07
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「知っているようで知らない、松竹グループ会社のことをちゃんと知りたい・・・」 そんな声を受け、前号からスタートした松竹グループ会社インタビュー。今回ご紹介するのは「株式会社ショウビズスタジオ」。お芝居、コンサートから政府関係のイベントまで、多岐にわたる“おとづくり”のお仕事について、創立当初から約40年間働かれている和田徹二取締役に伺いました!

◆入社当時(1960~70年代)のお仕事内容についてお聞かせ下さい。

【入社1年目】

ショウビズスタジオ設立の翌年1966(昭和41)年に入社しました。
初めての配属は渋谷公会堂※1で、コンサートの音響を担当しました。デューク・エリントン、小澤征爾等、当時ラジオで聴いていた憧れのビッグアーティストと仕事ができるので、毎日がとにかく楽しかったです。現在はアーティストが専属のコンサートチームを引き連れていくことが一般的ですが、当時はコンサートホールの従業員がすべて行っていました。色んなジャンルの音楽を担当しましたが、楽器の編成を見れば、大体対応できましたね。

【入社2~3年目】

渋谷公会堂に一年間勤めた後、新派の巡業を担当しました。
音楽の世界から、いきなり芝居の世界へ。機材を運んで、設置して、公演をして、ばらして、移動…その繰り返しでした。当時、歌舞伎座は歌舞伎と新派、新国劇との合同公演や大川橋蔵、萬屋錦之助等の音響機材を必要とする公演がありました。この頃から歌舞伎座音響室の機材提供と管理を担当し第四期歌舞伎座閉場、第五期歌舞伎座開場まで続きました。また、自社のスタジオでスピーカーや効果用ミキサー卓を手作りしていた時代もありました、この効果用ミキサー卓が後に改良され効果専用卓として南座、松竹座、新歌舞伎座、博多座、帝国劇場、シアタークリエと導入されて行くことになります。

【入社4年目以降】

ある日突然、知り合いの演出家から「橋幸夫さんを担当してほしい」と依頼がありました。そこからは怒涛のスケジュールで、翌日には橋さんの事務所に赴き、一週間後には事務所専属としてコンサートに同行。当時橋さんは「あまちゃん」で放送されていたようにアイドル全盛期。一年の内300日は公演で、歌舞伎座、南座、新宿コマ劇場等、全国ありとあらゆる劇場をまわりました。
劇場だけでなく、グランドキャバレー※2でも公演をやっていたのですが、帰宅がいつも終電間際で、体力的には大変きつかったです。福岡の公演終了後、夜行便に乗って、北海道に飛ぶこともありました。

約6年間、橋さんの事務所でお仕事をしていました。その中でも一番の思い出は、お正月恒例のハワイ公演です。当時ハワイ旅行はひとり100万円ぐらいしましたから、我々にとっては最高のお年玉でした。ある年、となりの劇場で行っていたプレスリーの公演を鑑賞させてもらったこともありました。アメリカの機材力に驚かされましたね。

◆現在のお仕事内容をお聞かせください。

つい最近現場から外れましたが、舟木一夫さんや舞踊家・二代目西崎緑さん等、昔からお付き合いのある方にご指名いただいた場合には、現場に出ることもあります。コンサート以外だと、東日本大震災の追悼式、アクアライン開通式、赤十字の会合等の音響も担当させて頂きました。東日本大震災といえば、震災の後はワイヤレスマイクの電池がなかなか手に入らなくて、大変でした。

また、歌舞伎座の音響設計のコンサルタントもやりました。大まかな図面を書いて、メーカーと打ち合わせをしたのですが、劇場ならではの工夫が必要で、その点を折衝していくことが大変でした。ちなみに、昔からコンサルタントは行っていて、新橋演舞場、明治座、南座、松竹座、博多座…松竹のほぼすべての劇場を担当させてもらいました。

◆スタジオに飾ってあるマイクは?

これはドイツのNEUMANN(ノイマン)の1949年製マイクです。現在、復刻版は多く出回っていますが、オリジナル版はこの一本だと言われています。オールジャンル対応可能の非常に感度の良いマイクで、デジタルでは表現できない温かみのある音が録れます。不思議なご縁で、数年前に修理に出した時、修理士さんが、当時NEUMANN(ノイマン)のマイクを斡旋販売していた方の息子さんだったのです。とても貴重なマイクだと驚かれて、約一年の歳月をかけて修理してくださいました。

NEUMANN1949年製マイク(左)。赤いマークが特徴。

◆最後に松竹グループの皆様に一言お願いします。

“ショウビズスタジオ=SBS”と覚えていただいて、音のことで何かございましたら、いつでもご一報ください!

※1 渋谷公会堂:東京オリンピックの重量挙げ会場として1964(昭和39)年に開設された、多目的ホール。
※2 グランドキャバレー:昭和40年頃全盛期だった“大人の社交場”。ステージが設けられており、生バンドやダンス等のショーが催されていた。
※ 2015年7月「松竹ショウビズスタジオ株式会社」に社名変更致しました。
※ 和田徹二氏は現在、顧問です。

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